「子どもの頃から、なぜか『自立したい』という気持ちが強かったんです。」
そう語るのは株式会社縁(よすが)にて、訪問看護ステーション、看護小規模多機能型居宅介護事業所ケアステーションを経営する井上順子さん。

幼少期から抱いていた「自立」への想いは、どのように形となり、現在の事業へとつながっていったのでしょうか? 井上さんのこれまでの歩みと、介護・医療の現場にかける想いを伺いました。

経歴

~2012年3月東京大学医学部附属病院で看護師として退職するまで約40年間勤める
2012年11月株式会社縁(よすが) 設立
2013年 2月よすが訪問看護ステーション 開設
2014年11月ケアマネジメントよすが 開設
2022年 7月看護小規模多機能型居宅介護施設 ケアステーションよすが 開設

医療と介護のはざまで——看護師として、経営者としての挑戦

「自立した女性になりたかった」——看護師を志した原点

—— 井上さんが看護師を目指したきっかけを教えてください。

「大きく分けて2つあります。まず1つは、子どもの頃から “自立した女性になりたい”と思っていたことですね。」

当時は、結婚したら家庭に入り専業主婦になるのが当たり前の時代。田舎で育った井上さんの周りでも、そういう考えの人が多かったといいます。

「でも、私の母や叔母たちはみんな働いていたんです。それが当たり前の環境で育ったからこそ、 ‘私も自立した女性になりたい’ という思いが自然と芽生えていました。もうひとつは、父が趣味で猟をしていて、シェパードを飼っていたことが関係しています。」

—— どんな出来事があったのでしょうか?

「ある日、父がシェパードを猟に連れて行った時に、前足を深く切ってしまったんです。でも、その犬は人や他の動物を警戒していて、誰も触ることができなかった。」

手当てができないまま、傷は次第に化膿していった。しかし、井上さんが勇気を出して手を伸ばすと、不思議とその犬は触らせてくれたのだといいます。

「毎日赤チンを塗って手当てをしていたら、傷がきれいに治ったんです。そのとき、ふと思いました。私にしか触らせてくれない。もしかして自分に向いているかもしれないって」

—— そこから医療に興味を持ち始めたのですね。

「はい。獣医という選択肢もあったけど、“動物か人か”と考えたときに、やっぱり人のためになりたいという想いが強かったんです。」

看護管理者としての葛藤——「退院させなければ次の患者が入れない」

—— 看護師としてキャリアを積む中で、どのような課題に直面しましたか?

「東大病院の管理者(師長)になったときに、『退院できない患者がいることで、本当に医療を必要としている人が入院できない』 という問題に直面しました。」

—— 具体的にはどのような状況だったのでしょう?

「病院には 連携室患者相談窓口 があって、週に一度 退院カンファレンス を開いていました。でも、受け入れ先が決まらず 『退院の目途が立ちません』 という報告ばかり。私は師長として、スタッフにこう問いかけました。

『何も決まらないってことは、この1週間、あなたは何も仕事をしてこなかったってことよね? どうするの?』

涙を流すスタッフもいました。でも、病院のベッドは有限です。」

—— 退院の調整は、簡単なことではなかったのですね。

「どんな方法でも、退院させようと思えばできるはず。最善の努力をするべきでしょう? 退院が決まらないと、その間に急変する患者が出る。どこかで決断をしなければ、現場は回らないんです。」

この時、井上さんの中で一つの疑問が浮かびます。——「退院した患者たちはどうなるのか?」

「だったら、自分たちで作ればいい」——訪問看護の立ち上げ

「退院した患者たちはどうなるのか?」
そんな疑問を抱いていた時に、一緒に働いていた若い男性看護師2人が、こう言ったんです。

『だったら、自分たちで受け皿を作ればいいじゃないですか。』

私は『まだ定年まで先が長いよ』と笑って答えました。でも、彼らの返事は意外なものでした。

『いいですよ、待ちますから。』

そして、井上さんが定年を迎えたとき、その看護師の一人が改めて問いかけました。

『師長、あの話、どうなりました?』

その言葉を聞いた井上さんは、迷うことなくこう答えたといいます。

『そうだね、やるか。』

—— こうして訪問看護が始まったのですね。

「はい。2人の仲間と共に訪問看護事業の立ち上げを決意しました。その看護師たちの熱意と信念が、私の背中を押したんです。」

看多機の開設——「医療依存度の高い人の受け皿を」

—— 訪問看護を続ける中で、感じたことはありますか?

病院は高齢者をあまり受け入れたがらない。在宅で看取りをするにも、家族の負担が大きすぎる。医療依存度の高い人が安心して過ごせる場所はどこにあるのか?という問題です。」

—— その答えの一つが、「看護小規模多機能型居宅介護(看多機)」だったのですね。

「そうですね。訪問看護だけでは支えきれない部分がある。でも、“看護小規模多機能型居宅介護(看多機)”なら 通い・泊まり・訪問 を組み合わせて、より柔軟な支援ができる。これなら医療度の高い人も安心して過ごせるのではないかと思いました。」

—— とはいえ、開設には多くの苦労があったのでは?

「やはり医療と介護の間にある施設は、制度的にも経営的にも難しいんです。特に、看護師と介護士ではケアに対する意識の違い があります。

看護師は “人を診る” けど、介護士は “作業をする” になりがち。 だから、うちでは “根拠を理解する” 教育を徹底しています。」

—— 介護と医療の狭間にあるからこそ、課題も多いのですね。

「はい。でも、だからこそ必要な場所でもある。これからも、医療度の高い人が安心して暮らせる仕組みを作っていきたいと思います。」

「食事介助を極力しない」——独自の運営方針が生む新しい医療と介護の形

—— 看多機を運営するうえで、独自にこだわっているルールはありますか?

「その一つが 食事介助を原則しないことです。」

—— 介護施設では一般的に、食事介助が行われることが多いですよね?

「全国の施設では、誤嚥性肺炎で救急搬送される人が多いんです。でも、うちは‘自分で食べる’ ことを徹底しているからゼロなんですよ。」

—— 自分で食べることが、大切なんですね。

「はい。食事は五感を使って楽しむもの。視覚、嗅覚、味覚を使って自分のペースで食事することで嚥下反射が起こらないんです。 だから、できるだけ自分の力で食べることを大切にしています。」

—— ただ食事を摂るだけでなく、身体機能の維持にもつながるんですね。

「そうなんです。こうした独自の運営方針 を貫くことで、医療と介護の新しい形 を作り上げているんです。」

「本物の人間が集まらないと成り立たない」——これからの挑戦

—— 看多機の運営を続ける中で、今後の課題はどんなことだと感じていますか?

「やっぱり、制度の壁 ですね。看多機を運営していると、どうしても制度の制約にぶつかることがあります。」

—— 制度の壁… 例えばどんなものでしょう?

「たとえば、看多機の定員は29名まで という決まりがあるんです。でも、それだけで地域の医療・介護ニーズに十分対応できるかといえば、そうではない。本当に必要としている人を、どう受け入れるか が常に課題です。」

—— その壁を乗り越えるために、どんなことを考えていますか?

医療を手厚くした有料老人ホーム の設立です。」

—— それは、具体的にどんな施設ですか?

「一般的な有料老人ホームでは、医療依存度の高い人は受け入れにくい んです。でも、うちは 看護師がいる から、そこをカバーできる。さらに、看多機と組み合わせることで、全国どこからでも受け入れられる 医療特化型の施設 を作りたい と考えています。そうすることで団塊の世代のジュニア世代のよすがになりたいと思います。」

—— それが実現すれば、多くの人が安心して生活できる環境が整いますね。

—— 井上さんの挑戦は、まだまだ続いていく。

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